前回は、一級建築士試験の問題点について書きました。また、一級建築士試験を受験する設計を本業とする人の大半は意匠設計者であることも書きました。
今回は、その意匠設計者の大半が憧れ、目標とする「建築家」像について掘り下げて書いていきたいと思います。
「一級建築士制度を考える」
6.建築家をカリスマに祭り上げたメディアの功罪
みなさんは、有名建築家の名前を何人くらいご存知ですか??
丹下健三、安藤忠雄、は知っている方が多いのではないでしょうか。
ちなみに、わたしは学生時代に海外も含めて100人以上の建築家の名前をいつの間にか覚えていました(1年生の頃は完全デザイナー志向でした)。
きっかけは、やはり雑誌でした。
中でも、「世界の建築家581人」という建築家辞典のような本を買って、自分が好きなデザインをしている建築家を探して、好きな建築家がいたら更にその人を詳しく調べるというようなことをしてました。
これが、結構楽しいのです。。好きじゃない建築家も当然いっぱいいますが、街中で好みでない建物を見つけて設計者を調べて、「やっぱりなぁ・・・」なんて楽しみ方もありました(笑)。
まだ、建築の知識の少ない大学1年生の頃の自分にとって、雑誌の紙面を飾る「建築家」は、やはり憧れでした。そこで、どうすれば建築家になれるのかを当然のように考えました。
まず、
漠然と一級建築士にならなきゃ、と思いました。
あと、
コンペに応募しよう、と思いました。菊竹清訓という有名建築家がいるのですが、菊竹氏が学生時代に大きなコンペで入選したということを知ったからです。
(注:コンペとは設計競技のことで入賞すると賞金をもらえたり、実施設計権利を得たりできます。念のため)
一級建築士は大学を卒業してからの話なので、まず参加できるコンペをいろいろと調べました。今でも覚えていますが、初めて参加しようとしたコンペは「異邦人の家」というテーマのコンペでした。夏休みに、バイトの合間にアイデアを試行錯誤しながら何枚もスケッチなどをしました。
結局、初コンペは形になりませんでした。。そもそも、プレゼンテーションの仕方も全く知らずにA1ケント紙をスケッチでいっぱいにしようとしてたのは無謀だったかもしれません。。そして、コンペの公開審査が渋谷BEAMSで行われたので勉強がてら見に行きました。半円形の会場には、100人くらいの観覧している学生がいて、ステージ上に4人の建築家が候補者のプレゼンを聞いて、その中からその場で1等を選ぶというものでした。
はじめての経験でしたが、なんというか、、とてもエキサイティング!という感じで興奮しました。
それからというもの、大学での建築勉強=コンペ、という感じでかなり夢中でした。
やはり、人は競争というものに対してとても興味があるのだと思います。とは言うものの、実際に参加するコンペを決めてアイデアを考えるのですが、最後に形になりませんでした。
これは、わたしの性格上の問題ですが、「そもそも、建物ってどうやって作るんだろう??」と思ってしまってスケッチしている鉛筆が止まるのです。概念だけの絵本のようなスケッチでは、嫌だったんです。
こんなことを、何度か繰り返して、その都度勉強していくうちに、基礎、鉄筋、鉄骨、コンクリートなどの「構造」という存在を知りました。
少々脱線してました。。
つまり、わたしの経験上「建築家」を目指す学生の過程にコンペがあると思います。
現在有名建築家と言われる人の中にも、コンペを通じて名声を得た人もたくさんいます。
ですが、ここでちょっと冷静に考える必要があります。
そもそも、建築設計には答えがありません。人の好みというものは、まったく十人十色です。つまり、コンペで1等になった作品はその時の審査員である建築家の好みで選んだものです。そのうえ、自分の嫌いな建築家が選ぶとなれば1等になんの意味があるのか(賞金目当てならよいですが・・)よく分かりません。
わたしは、コンペに提出するまでには至りませんでしたが、やはり自分のアイデアに愛着がありました。1等となった作品よりも自分の作品のほうが好きでした。コンペに落選した経験がある人でも、そのように思う人が多いでしょう。しかし、誰かが選んで評価されて入選した作品の作者が「建築家」の卵としての道が用意されるという事実があると思います。すでにブランド化されている建築家が選んだ作品として2次的なブランド効果が発生するのは理解できますが、選んだ建築家についてもっと考える必要があると思います。
コンペ入選
↓
雑誌掲載
↓
メディアが注目
↓
若手建築家へ
この構図には、現在の意匠設計者偏重気味の建築設計業界での少なからず弊害があると思います。
当然ながら、コンペで入選しなくても素晴らしいアイデアを持っている方はたくさんいますし、有名建築家よりも良い設計ができる無名の建築家もたくさんいます。
設計は、依頼主があってはじめて建築家の出番となりますので依頼主が何を基準に建築家を選ぶのか?ということが問題になります。
やはり、雑誌等メディアへの露出度の影響はとても大きいのが事実です。
少し前に流行した言葉で、「カリスマ」という言葉があります。
カリスマ美容師、カリスマモデル・・・
カリスマ建築家とは言われませんが、有名建築家はまさに「カリスマ」的扱いをされています。
これは、わたしたちがいつの間にか建築家をカリスマと思うようになったのではありません。建築家をカリスマとして扱ってきたのはメディアです。そのメディアを通じて、わたしたちは建築家をカリスマと思うようになったのです。
カリスマは、タレントのようなマスコット的存在の場合もありますが、この場合は自己で完結できるのでとくに問題ないと思います。ですが、仕事の主導権を持っているような建築家がカリスマとなるとそういう訳にはいきません。カリスマが主導権という権力を持つと、大げさにいえば、独裁者を産み出すことになり兼ねないからです。
前回までに書いたように、建築の設計から竣工までの間に、建築家(意匠設計者)が携わる仕事の内容は限られています。
設計依頼
↓
基本設計
↓
見積り
↓
実施設計
↓
工事
↓
竣工
おおまかに、このような建築のプロセスの中で建築家(意匠設計者)の占める仕事の割合は、決して多くはないと思います。設計には、構造、設備の協力が必要ですし、見積りや工事にはゼネコン、工務店の協力が必要です。有名建築家ともなると、設計図すら描かずにスケッチ(きわめて漠然とした概念図のようなものなど)だけで「こんな形を作りたい」とだけ言い残してあとは人まかせという話はあちこちで聞くことができます。
建築家にとって「作品」となる建築が完成するまでに必要となる労働力や技術を考えると、決して建築家のみの作品とは言えないのです。
本屋で建築家の作品集を開いてみてください。
綺麗に撮られた写真の中の建築を実際に作ったのは、ゼネコン、工務店であり、設計協力として構造設計者、設備設計者が存在するにも係らず、いかにも建築家が一人で作ったかのような雑誌がほとんどです。これでは、世の中が誤解するのは当然です。実際、大学1年までは、わたしも騙されていたのですから。。
ただ、建築家に仕事を依頼する人がいなければ何も始まらないと反論される方もいるかもしれませんが、前回までに書いてきたように、
世間が、建築家をどのような職能のある人達だと勘違いしていたのか?建築家が、設計の協力体制についてちゃんと明示していたのか?
メディアが、建築家をどれほど過大評価してきたのか?
これらの点を十分に考える必要があると思います。
もちろん、建築家が自分をブランド化できたことには非凡な何かがあったのだろうとは思います。しかし、それはこれまでの世間の誤解が手助けしてくれていたことも事実だと思います。
ブランディングによるカリスマ作りは、経済活動をするうえではとても重要なことだとは思っています。ブランドを基点にして、様々な活動が生み出されます。特に、日本は世界でも有数のブランド消費国ですので、ある意味「カリスマ」好きなのだと思います。
ヴィトン、プラダ、エルメス、などなど、有名高級ブランドは発祥地よりも日本のほうが売れます。日本人は、ローンを組んでまでブランドを買うのです。これは、欧米ではあり得ないことだそうです。
建築家がブランド化されても、建築はバッグや靴ではありません。
簡単に不良品で返品というわけにはいかないのです。
依頼主は、建築家を何でもできるスーパーマンだと思っている人が少なくありませんでした。
建築家は、これまでの建築設計という仕事の悪い慣習から、協力者を結果的に隠蔽してしまっていたと思います。その隠蔽をメディアが助長してきたことも事実です。
このことは、わたしたち構造設計者や設備設計者やゼネコン技術者は耐震偽装事件よりもずっと昔から感じてきたことです。ですが、仕事の力関係から表面化してきませんでした。建築設計の大多数が意匠設計者である以上、わたしたち少数派の発言は耳をすましても聞こえないくらい小さくなってしまうのです。
今回の事件を機に、建築家に対するメディアの取り上げ方も変わらなければならないと強く思います。
欧米の有名建築家に憧れる日本の建築家は多いですが、建築の拠点が日本である以上日本の建築家は欧米の建築家と同じであってはなりません。
それは、日本が世界でも有数の地震国だからです。欧米と比較して100倍もの高い確率で大地震の驚異にさらされている国において、そんなことは許されないのです。
建築家の職能を世間が理解し、メディアも建築家を冷静に見極めて(ときには批判して)、
未来の建築設計を担う若者達に正しい情報を提供していく必要があると思います。
そうすれば、必然的に建築家が審査するコンペの意義も若者自身が判断できるようになるでしょう。
今回は、以上です。どうしても長くなってしまいますね。。
次回は、耐震偽装問題について声を出さない建築家について書こうと思っていたのですが、内容を考えるとこれまでに書いてきた内容の繰り返しで、ちょっと悪口っぽくなりそうなので一編繰上げます。
なので、次回は、最終回として建築設計を夢のある仕事にするためにこれから何をするべきかについて私見を書いていきたいと思います。




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