テンポールトップページへ

一級建築士制度の最近のブログ記事

昨日平成21年度一級建築士試験の合格発表がありました。
詳しくはこちらをご覧ください。

新たに5164人の一級建築士が誕生しました。
今年から新しい試験制度になり構造や設備に対する配慮を求める試験になりました。
とても良いことだと思います。
製図試験も構造部材の断面も記載して、梁伏図なども書かせるようなので
幅広い知識を持った有資格者が今後どんどん誕生することに期待したいです。

建築業界の求人状況としては、相変わらず厳しいですが、
構造・設備設計関連については現在でも求人が多くあります。
特に、一級建築士を保有していれば現在でも複数社から声がかかると思いますので
転職をご検討の方は、まずは気軽にご連絡頂ければと思います。

建築系の転職のご相談はこちらから

http://tenpole.com/

本日は、一級建築士試験の合格発表です。

新たに4144名の一級建築士が誕生しました。

全体合格率は8.1%といことで難関でしたね。

合格された方はおめでとうございます。

来年以降法改正で更に難関の資格になることが
予想されます。

また一級建築士になるだけでなく、
これからは維持するための努力も必要になります。

弊社では、高い志を持つ一級建築士の方々の
キャリアアップのサポートの実績を積んできました。

大不況下でも負けずに頑張っていこうとする方々の
サポートには我々も努力を惜しみません。

ぜひ!弊社にお問い合わせください。

宜しくお願い申し上げます。

■■■
ブログも書いてます!ご覧ください。

ヨコハマで人材事業を起業した
建築士のブログ

今日、晴海トリトンで行われた
「改正建築基準法等講習会」を受講してきました。

会場は500人はいたと思いますが、、満席でした。
午後の部で構造規則の話になったら帰ってしまう人や
居眠りする人がたくさんいましたが・・・

改正内容は国交省などのHPで見ていましたが、
いざ受講してみると「ムカっ!」とくる内容がやはり多かったです。

今回の改正で、審査機関が責任を取る可能性は
事実上ほぼ無くなります。

そうなるように改正しておいて、
「駄目な建築士はマーケットから淘汰されるべき!」
といのが国交省の本音だそうです。。

国にそう言わせてしまう、我々にも問題はあります。

なので、今回の改正で今後変わらなければならない
設計のプロセスについて冷静に考えてみたいと思います。

・・・つづく

今回は、連載の最終回です。前回までに、一級建築士制度を取り巻く問題点について経験を踏まえて私見を書いてきました(バックナンバーはこちらから)。夢いっぱいに飛び込んだ建築設計(わたしはまず構造設計を選択しましたが)という業界で待っていたのは、残念ながら理不尽、矛盾、非効率、などによる失望が少なくありませんでした。だからといって、建築を捨ててIT業界に転職する気はありません(笑)。それは、残された希望にまだまだ夢を実現できる可能性があると信じているからです。
というわけで、今回は最終回として建築設計という仕事を子供達が夢見るような仕事にするためにこれからどうしていけば良いのか?ということについて書いていきたいと思います。

「一級建築士制度を考える」

最終回.建築設計を夢のある仕事にするための提案

子供は正直です。
ときに残酷なほど、正直です。個人差はありますが、自分の発言を気にするような世間体が身に付くのは小学校の高学年くらいからでしょうか。ここでいう子供とは、世間体を身につける前の良くも悪くも真っ白な心を持った子供達を意味します。
子供達にとって、将来とはなんでしょうか?

わたしの子供の頃を思い出すと、、まじめに将来を考えたことなんか一度もなかったと思います。ある意味、毎日が必死だったと思います。笑うこと、泣くこと、怒ること、嬉しいことなど感情のすべてに手抜きせずに表現していました。
目で見たもの、手で触ったものに興味をもって、好き、嫌いを自分なりに区別して、好きなものを発見していたと思います。そして、小学校を卒業する直前くらいになって学校の先生から「将来なりたい人」について作文を書きなさいと言われて、キョトンとしながら「将来?・・・かぁ・・」とはじめて真面目に考えたような気がします。将来何になりたいか??悩んだ挙句、わたしは「プロ野球の選手」と書いた記憶があります。野球は下手くそだったのですが、テレビで見てかっこいいと思いましたし、お金持ちになれると思いましたし、アニメの「タッチ」や「ナイン」の影響もありました(笑)。

プロ野球の選手になりたいという答えに至るまでに、子供の頃から蓄積された「好き」という要素(「かっこいい」、「お金持ち」など)と合致したのがプロ野球だったのかもしれません。。
野球よりもサッカーのほうが好きだったのに(キャプテン翼の影響です・・)、当時Jリーグなるものはなかったためか、プロサッカー選手と書かないあたりが結構現実的な子供だったんだなぁと思います(笑)。

余談が長くなりましたが、
つまり、子供の「好き」を作る要素がいくつあるのかということが魅力ある仕事であるかどうかを判断するうえで重要だと思うのです。

そこで、建築設計について考えてみましょう。

子供達にとって「好き」と成り得る要素としては、
・家をつくる
・絵を描く
・かっこいい(場合によりますが)
・テレビにでれる(最近の人気番組などを見て)
くらいでしょうか?

では、「嫌い」に成り得る要素としては、、これは分からないかなと思います。
ただ、親が建築設計をしている子供達を例に考えてみると、
・帰りが遅い(勤めている場合)
・遊んでくれない(自営の場合)
・貧乏
などは、子供からも声があがる気がします。

他にもあればご意見お願いします。

どうでしょうか?子供の頃に建築設計を夢みることができると思いますか?
まぁ、無理でしょう。。
プロ野球、Jリーガー、歌手、役者、など将来の夢の代名詞となっているような仕事と比べればかなり色褪せて見えます。
自分の職業でもありながらこんなことを書くのはなんですが、、現在の建築設計には魅力がないと思います。当然ながら、設計を経験すると面白くて、やり甲斐のある仕事だと気づくのですが、それではだめです。子供達が注目する何かがなければ現在の業界を変えることは永久にできません。

魅力不足の根本的な問題は、制度を含めた業界のこれまでの体質にあると思います。
ですが、これらを来年から変えましょうというのは現実的ではありません。時間がかなりかかるでしょう。なので、変え方を間違えないようにしたいんです。

子供が夢見るような仕事として定着させるための要素を地道に付け足していくことが大事だと思います。

そこで、現在一番不足しているものは何か?
それは、「報酬」だと思います。つまり、収入が低すぎるんです。
わたし自身も経験してきたことですし、周りの同業者を見れば他業種との差は歴然としています。
少ない報酬ながら、好きだから、楽しいからということで長時間の労働をしているのは業界の常識となっています。これは、良いことですか?
わたしは、絶対に良くないと思います。

仕事は、自分の能力に対する対価として報酬を得ます。
報酬が少ないということは、能力に対する評価が低いということです。また、それが業界の常識となっていてどうにもならないとすれば、業界全体の評価が低いということです。このような状態が長く続いた結果が、現在の建築業界です。人は、低い評価が続けば仕事もそれなりのものになっていくものです。
試しに2倍の報酬を義務付ける制度を作ったとしましょう。
恐らく、その報酬を喜んで受け取って仕事をしたとして、クライアントの満足を得られる設計者がどれだけいるでしょうか?報酬が上がる分、クライアントの目も厳しくなりより一層設計者の分別が進むはずです。建築士の人数を意味の分からない試験制度で人為的に操作するより、実は最も効率的な方法だと思っています。実際、報酬を2倍にしたところで、まだまだ子供達が夢見るような職業ではないというのが、現在の報酬のレベルだと思います。。

建築設計を業としていない方々からすれば、調子のいいことを言うなと怒られそうですが、、
わたしが見てきた、経験した現実として、
・大卒の給料が15万程度
・残業が月に200時間以上
・残業代はなし(または法律上40時間まで)
・給料どころか、研修料を支払う
・社会保険未加入
などなど
上記したような設計事務所は本当に山のようにたくさんあります。裾野の広い業界における末期的状態だと思います。若いうちは、このような不規則を競って自慢しあったりしてる状態です(苦笑)。
建築設計業界の特徴として、独立志向が強いということもあげられますが、それは上記したような待遇面での不満や終身雇用という安定を求められるような状態ではないからだと思います。建築系のSOHOが多いのはそういうためだと思われます。リクルートに入社した人が独立するのとは訳が違います。

報酬をあげることは難しいことでしょうか?
わたしは、現実的に簡単だと思います。問題は、これまでの既成概念だけです。

ここで、報酬の例をあげてみます。

例:2階建ての木造住宅を建てる場合
 総工費:2000万円(設計料含む、土地は含まない)
 設計料:総工費の10%(200万円)
 工期:4ヶ月
 設計期間:2ヶ月(基本設計含む)
 設計外注割合:30〜40%(60〜80万円)
 諸経費:10%(20万円)
 設計売り上げ:100万円程度

・・・くらいかなと思います。
100万円ということは、2ヶ月の作業を30歳程度の設計者が一人で行えば年収に換算して500万程度になり平均レベルになりますが、現実的には一人で行うと次の仕事の営業などはできませんし、リスクが大きいので無理があります。
そこで、自分と同じレベルの設計者と共同すれば当然年収は300万弱になりますので、学生バイトやオープンデスクといった形での無償労働を募集したりしてまかなうのが一般的でしょう。それでも年収にすれば400万程度で平均年収ははるかに下回る状態になります。それでもきつくなれば、外注費を削る、諸経費を削る、などしてクオリティの低さを止むを得ないという状態になっていく訳です。

では、設計料がどの程度ならば適当なのでしょうか?
それは個人差がありますが、最低でも現状の1.5倍はないと難しいと思っています。
そうすると、クライアントは「冗談じゃない!」と怒るかもしれません。。
・・・でも必要なのです。
「冗談じゃない!」と言いたくなったらそれは言うべきです。そして、そう言わなくても済むような設計者を必死になって探してもらう必要があると思います。良い設計者であれば、現場効率を上げる等によって、イニシャルコストを取り返すことなど簡単にできます。

あと、個人的にはゼネコン、工務店に増分の半分は負担してもらっても良いと思っています。そうすれば、クライアントの負担は少なくできます。そうすると、ゼネコン、工務店からは「ふざけるな!」と言われるでしょう。。
・・・でも、ふざけてはいないのです。
今年の大手ゼネコン各社の決算は、わたしたち設計者の低収入とは反比例して増収増益でした。監理をした現場の現場所長などと話しをすると「大赤字ですよ。」と誰もが言いますが、実態はそうではありませんでした。工事現場での会計はまだまだ不透明です。また、下手な設計図を施工すれば現場での2度手間、3度手間が発生して実際は余計にコストがかかるものです。良い設計者に対して初期投資をするべきです。

建築設計という仕事は、当然ながら設計者が設計したものについて責任を負います。仮に、設計に瑕疵(ミス)があったまま、建物ができてしまって問題が生じればそれは設計者の責任となり、損害賠償問題となります。
しかし、上述したように設計者の報酬が少ないことから、現実的に設計者に損害賠償責任を負えるような資本面での体力は無いことが一般的です。なので、実際は設計ミスによる要因が大きくても施工ミスということになってゼネコンが損害を被ることが少なくありません。そうしないと、損害を被ったクライアントは賠償金を得ることができませんし、実際業界ではそれは暗黙の了解で、何か起きたときにはクライアントも資本面での体力のある方に責任を求めてきます。
ゼネコンも何か問題がおきれば、自分達が保障するのだから・・といったこれまでの経験からの暗黙の了解があると思います。これが悪循環の原因ではあると思いますが、現状の設計者のレベルから判断すれば止むを得ないと言わざるをえません。
(リスクマネージメントという概念による、建築に対する保険の導入も望まれますが、現在の制度上の問題点を解決しないと保険会社は参入してこないと思われます。。)

少ない報酬

時間をかけられない

設計ミスの確率大

ゼネコン頼り

設計者の地位低下

・・・・

最悪の状態なわけです。。

以前、ブログでも取り上げましたが、ゼネコンの方々は設計者を年齢に関わらず「先生」と呼ぶ慣習があります。わたしも、入社間もない頃に始めて担当した現場で父親ほど年の離れた工事長から「先生」と敬語で呼ばれてました。
当時は、まったく「???」という感じで「先生はやめてください」とお願いしていました。当然ながら、経験豊かなゼネコン技術者の知識は尊敬に値します。それなのに、知識のない設計者に対しても「先生」と呼ばれるのは、どう考えてもおかしいですし、少々「おちょくられている?」ような印象さえありました。実際、馬鹿にする意味合いでそう呼ぶ方もたくさんいらっしゃいます。
「先生、我々の言うことをおとなしく聞いてくださいね!」とばかりに挑発的にものを言う現場所長さんも結構多いです。。その言葉の裏には、「お前らは、何かおきても何も保障しないんだから」という意味があると思います(多少、被害妄想もあるかもしれませんが・・)。現状の、建築業界での技術面での上下関係もよく表している悪い慣習だと思われます。

しかし、ゼネコン技術者の知識は、あくまでも自分達が施工してきた建物に関係する知識なので限定された知識が多いです。ゼネコン技術者は工期という使命を負って仕事をするので、朝から晩まで忙しすぎて自分の担当以外の勉強などしている余裕は無いはずです。しかし、設計者はそれではダメです。設計者は、勉強してあらゆる建物の種類にも豊富な知識を本来要求されているのです。ですが、現状はその勉強に投資するような余裕もありません。設計者は、技術面ではゼネコンを指示・監理する立場なのである意味「先生」なのですが、現状はその理想から程遠い状況となってしまっているのです。この状況を、設計者は傍観していてはダメなのです。設計者が本来の設計者の姿を取り戻すためにも、勉強をしていざ報酬があがったときにでも、勝ち残れるだけのスキルを身につける必要があると思います。

建築設計という業界は、仕事の量に対して、設計者が多すぎるというのも問題です。報酬を制度的に引き上げれば、裾野の広さは自然淘汰的に狭くなってくることは間違いないと思います。
ちなみに、日本のこの状況は、ハウスメーカーの存在が一般の設計者の仕事不足に拍車をかけているのも事実です。ハウスメーカーは量産できるので、設計に対するウェイトを極端に低くすることができますが、日本の都市景観を損なう要因を最も担ってきたのも事実だと思います。また、一時期設計料ゼロを宣伝文句にしているハウスメーカーが多くありましたが、これは工事金額に含まれてしまっているだけで、実際はそんなことはないのです。。

ここまでで、設計者の報酬を引きあげることが自己の利権に関わらず必要なことだと理解してもらえれば嬉しいです。。
これで、子供達が建築設計という仕事について「お金持ち!」とは思わないまでも、「貧乏。。」と思わないようにはしたいものです。。いずれは、建築設計=お金持ち!となるのが理想だとわたしは思います。

次に、建築設計の人気を上げるために何をすれば良いか?を考えます。
これは、メディアの協力が必要不可欠です。ですが、現在のメディアの建築に対する取り上げ方は、以前にブログで取り上げたように(こちらからどうぞ)、建築家に偏ったもので決して子供に夢を与えるようなものではありません。建築家のための、建築家によるメディアであって極めて商業的です。それでは、ダメです。メディアが子供達に夢を売るような仕組みに変わらなければいけません。

では、どうすればいいのか?

これは、まったくの私見ですが、、
わたしの場合、将来の夢と当時好きだったアニメ(漫画)の影響がとても強いので、日本が世界に誇るアニメーションを利用した建築のプロモーションが有効だと思います。
アニメの影響は、子供にとっては甚大です(大人になっても、アニメ志向の建築志望者が多いと困るのですが・・)。空を飛ぶヒーロー漫画が流行れば、子供達はどうにかして空を飛ぶために努力していくと思います。子供の頃に見るアニメは、夢を与えるためであれば、その内容が現実よりも誇張された表現をされていても許されると個人的に思います(大人向けのテレビ番組で誇張した表現や誤解を招く演出を行うのは一歩間違うと詐欺になってしまいます・・)。キャプテン翼もほとんど空飛んでましたしね(笑)。

連載の初回に書いたのですが、
リフォームの人気番組(現在は終了したようです)で、「そのときタクミは・・・」、「まぁ、なんということでしょう・・・」でおなじみの演出を子供向けのアニメにできたら面白いのにと以前から思っていました。そうすれば、本当にノコギリ片手に設計をするスーパー建築家が将来生まれるんじゃないかなぁと本気で思います。子供の持つポテンシャルは無限大ですし、真っ白な心と頭に、刷り込み(インプリンティング)をしてしまうと、見たもの、興味があるものを常識と認識する傾向があるからです。

アニメ発建築家へ!
日本ならではの発想で面白いと思うのですが、どうでしょう??

もちろん、アニメの場合は、面白いアニメを描いてくれる作家さんが建築に興味を示さなければならないので、その点では実現性の面では課題があります。

アニメよりは影響度が小さいとは思いますが、
もっと、現実的に子供達に建築に興味をもってもらうことも提案します。
それは、簡単なことです。
現場見学会を頻繁に開くことです。
これは、ゼネコン、工務店に是非協力してもらいたいことなんです。もし、わたしが監理する現場であればクライアントを説得して絶対に行いたいことです。1回や2回ではダメですし、完成時の見学だけなんて論外です(現在も完成時のオープンハウスという慣習がありますが、これも宣伝効果を狙う要素も強く商業的です。作る過程を見るほうが子供達にとってはよっぽど楽しいと思います)。
わたしも、小さい頃工事中の自分の家を親と見学しにいって、とても楽しかったのを覚えています。途中までしかできていない階段や、床がまだなくて下から見える2階の様子や、床下スペースがまだ見えていたりして、「隠れんぼ」したら楽しそうだし、何か秘密基地を連想させるものがありワクワクしたんです。

もちろん、現場見学会を行うことで工期は遅れます。
・・・でも、そのくらいのゆとりがあってもいいじゃないですか。。
商業主義のもの作りはいい加減終わりにして、ゆとりをこのような形で提供できたら素敵だと思います(いま流行りのLOHASの実践です)。少し譲歩すれば、一般にもクライアントの同意を得て公開する場合は多少の見学料を頂戴するようなやり方でもわたしは良いと思います(工事現場は少なからず危険なので、安全性を確保するための準備費用としては当然必要だと思います)。頻繁に人の目に触れることで、施工も丁寧になって手抜き工事なんてものも少なくなるのではないでしょうか。

かなり、長くなりました。やはり、2編に分けたほうが良かったかもしれません。。

まとめです。

建築設計を夢のある仕事にするために必要なこと、
それは

1.子供達が興味を持つ仕事にすること

2.制度で報酬を引き上げること(最低基準を設ける)

3.メディア(特にアニメ)とのコラボレーションを行うこと

4.現場見学を頻繁に行うこと

以上4点を、提案します。

「一級建築士制度を考える」といテーマについて、制度の根底にある建築業界の実態と問題点について経験や私見をもとに全7編書いてきました。
これまでこの連載を読んでくださった方々、ありがとうございました。

連載を通じて、テンポールの建築に対する思いもご理解頂けたのではないかと思います。
当社では、今後も理想の建築設計のあり方を追求しながら、設計業における働き方においても事業を通じて業界に貢献していきたいと思っています。
(まず、営業再開できるようにならなければ・・・)

「一級建築士制度を考える」

おわり

今日は、一級建築士試験の学科試験の合格発表だったんですね。。
当サイトへのアクセス検索ワードで気づきました。
知り合いも数人受験してるので朗報を待ちたいところです。

ただ・・
今年の学科合格率は10%ということで難問(奇問??)だったようですね。。。

なんというか、国家試験なのに極端に世論に敏感なのは、恥ずかしいことだと思います。
これで今まで以上に、試験自体の本質を問われることになると思います。
連載中のブログでも取り上げましたが(こちらからどうぞ)、
難易度操作があからさまなのはどうかと思います。
試験に合格したときにどのような知識が得られるのか?
ということに主眼を置かなければ、建築士のレベルアップなど
程遠いことだと思います。

くやしいですけど、試験制度の不具合はあったとしても、
設計を志すのであれば、社会的な信用を得るためにも資格は必要です。
受験当時のわたし同様に、苦悩されている方々も多いのではないかと思います。
早急の試験制度改革を願うばかりです。

なにわともあれ、
今年受験した方々、お疲れ様でした。
学科合格した方々は、製図頑張ってください。
割り切りも大事です。。

前回は、一級建築士試験の問題点について書きました。また、一級建築士試験を受験する設計を本業とする人の大半は意匠設計者であることも書きました。
今回は、その意匠設計者の大半が憧れ、目標とする「建築家」像について掘り下げて書いていきたいと思います。

「一級建築士制度を考える」

6.建築家をカリスマに祭り上げたメディアの功罪

みなさんは、有名建築家の名前を何人くらいご存知ですか??
丹下健三、安藤忠雄、は知っている方が多いのではないでしょうか。
ちなみに、わたしは学生時代に海外も含めて100人以上の建築家の名前をいつの間にか覚えていました(1年生の頃は完全デザイナー志向でした)。

きっかけは、やはり雑誌でした。
中でも、「世界の建築家581人」という建築家辞典のような本を買って、自分が好きなデザインをしている建築家を探して、好きな建築家がいたら更にその人を詳しく調べるというようなことをしてました。
これが、結構楽しいのです。。好きじゃない建築家も当然いっぱいいますが、街中で好みでない建物を見つけて設計者を調べて、「やっぱりなぁ・・・」なんて楽しみ方もありました(笑)。

まだ、建築の知識の少ない大学1年生の頃の自分にとって、雑誌の紙面を飾る「建築家」は、やはり憧れでした。そこで、どうすれば建築家になれるのかを当然のように考えました。

まず、
漠然と一級建築士にならなきゃ、と思いました。
あと、
コンペに応募しよう、と思いました。菊竹清訓という有名建築家がいるのですが、菊竹氏が学生時代に大きなコンペで入選したということを知ったからです。
(注:コンペとは設計競技のことで入賞すると賞金をもらえたり、実施設計権利を得たりできます。念のため)

一級建築士は大学を卒業してからの話なので、まず参加できるコンペをいろいろと調べました。今でも覚えていますが、初めて参加しようとしたコンペは「異邦人の家」というテーマのコンペでした。夏休みに、バイトの合間にアイデアを試行錯誤しながら何枚もスケッチなどをしました。

結局、初コンペは形になりませんでした。。そもそも、プレゼンテーションの仕方も全く知らずにA1ケント紙をスケッチでいっぱいにしようとしてたのは無謀だったかもしれません。。そして、コンペの公開審査が渋谷BEAMSで行われたので勉強がてら見に行きました。半円形の会場には、100人くらいの観覧している学生がいて、ステージ上に4人の建築家が候補者のプレゼンを聞いて、その中からその場で1等を選ぶというものでした。
はじめての経験でしたが、なんというか、、とてもエキサイティング!という感じで興奮しました。

それからというもの、大学での建築勉強=コンペ、という感じでかなり夢中でした。
やはり、人は競争というものに対してとても興味があるのだと思います。とは言うものの、実際に参加するコンペを決めてアイデアを考えるのですが、最後に形になりませんでした。
これは、わたしの性格上の問題ですが、「そもそも、建物ってどうやって作るんだろう??」と思ってしまってスケッチしている鉛筆が止まるのです。概念だけの絵本のようなスケッチでは、嫌だったんです。

こんなことを、何度か繰り返して、その都度勉強していくうちに、基礎、鉄筋、鉄骨、コンクリートなどの「構造」という存在を知りました。
少々脱線してました。。

つまり、わたしの経験上「建築家」を目指す学生の過程にコンペがあると思います。
現在有名建築家と言われる人の中にも、コンペを通じて名声を得た人もたくさんいます。

ですが、ここでちょっと冷静に考える必要があります。
そもそも、建築設計には答えがありません。人の好みというものは、まったく十人十色です。つまり、コンペで1等になった作品はその時の審査員である建築家の好みで選んだものです。そのうえ、自分の嫌いな建築家が選ぶとなれば1等になんの意味があるのか(賞金目当てならよいですが・・)よく分かりません。

わたしは、コンペに提出するまでには至りませんでしたが、やはり自分のアイデアに愛着がありました。1等となった作品よりも自分の作品のほうが好きでした。コンペに落選した経験がある人でも、そのように思う人が多いでしょう。しかし、誰かが選んで評価されて入選した作品の作者が「建築家」の卵としての道が用意されるという事実があると思います。すでにブランド化されている建築家が選んだ作品として2次的なブランド効果が発生するのは理解できますが、選んだ建築家についてもっと考える必要があると思います。

コンペ入選

雑誌掲載

メディアが注目

若手建築家へ

この構図には、現在の意匠設計者偏重気味の建築設計業界での少なからず弊害があると思います。
当然ながら、コンペで入選しなくても素晴らしいアイデアを持っている方はたくさんいますし、有名建築家よりも良い設計ができる無名の建築家もたくさんいます。
設計は、依頼主があってはじめて建築家の出番となりますので依頼主が何を基準に建築家を選ぶのか?ということが問題になります。

やはり、雑誌等メディアへの露出度の影響はとても大きいのが事実です。
少し前に流行した言葉で、「カリスマ」という言葉があります。
カリスマ美容師、カリスマモデル・・・
カリスマ建築家とは言われませんが、有名建築家はまさに「カリスマ」的扱いをされています。
これは、わたしたちがいつの間にか建築家をカリスマと思うようになったのではありません。建築家をカリスマとして扱ってきたのはメディアです。そのメディアを通じて、わたしたちは建築家をカリスマと思うようになったのです。

カリスマは、タレントのようなマスコット的存在の場合もありますが、この場合は自己で完結できるのでとくに問題ないと思います。ですが、仕事の主導権を持っているような建築家がカリスマとなるとそういう訳にはいきません。カリスマが主導権という権力を持つと、大げさにいえば、独裁者を産み出すことになり兼ねないからです。

前回までに書いたように、建築の設計から竣工までの間に、建築家(意匠設計者)が携わる仕事の内容は限られています。

設計依頼

基本設計

見積り

実施設計

工事

竣工

おおまかに、このような建築のプロセスの中で建築家(意匠設計者)の占める仕事の割合は、決して多くはないと思います。設計には、構造、設備の協力が必要ですし、見積りや工事にはゼネコン、工務店の協力が必要です。有名建築家ともなると、設計図すら描かずにスケッチ(きわめて漠然とした概念図のようなものなど)だけで「こんな形を作りたい」とだけ言い残してあとは人まかせという話はあちこちで聞くことができます。
建築家にとって「作品」となる建築が完成するまでに必要となる労働力や技術を考えると、決して建築家のみの作品とは言えないのです。

本屋で建築家の作品集を開いてみてください。
綺麗に撮られた写真の中の建築を実際に作ったのは、ゼネコン、工務店であり、設計協力として構造設計者、設備設計者が存在するにも係らず、いかにも建築家が一人で作ったかのような雑誌がほとんどです。これでは、世の中が誤解するのは当然です。実際、大学1年までは、わたしも騙されていたのですから。。
ただ、建築家に仕事を依頼する人がいなければ何も始まらないと反論される方もいるかもしれませんが、前回までに書いてきたように、
世間が、建築家をどのような職能のある人達だと勘違いしていたのか?建築家が、設計の協力体制についてちゃんと明示していたのか?
メディアが、建築家をどれほど過大評価してきたのか?
これらの点を十分に考える必要があると思います。
もちろん、建築家が自分をブランド化できたことには非凡な何かがあったのだろうとは思います。しかし、それはこれまでの世間の誤解が手助けしてくれていたことも事実だと思います。

ブランディングによるカリスマ作りは、経済活動をするうえではとても重要なことだとは思っています。ブランドを基点にして、様々な活動が生み出されます。特に、日本は世界でも有数のブランド消費国ですので、ある意味「カリスマ」好きなのだと思います。
ヴィトン、プラダ、エルメス、などなど、有名高級ブランドは発祥地よりも日本のほうが売れます。日本人は、ローンを組んでまでブランドを買うのです。これは、欧米ではあり得ないことだそうです。

建築家がブランド化されても、建築はバッグや靴ではありません。
簡単に不良品で返品というわけにはいかないのです。

依頼主は、建築家を何でもできるスーパーマンだと思っている人が少なくありませんでした。
建築家は、これまでの建築設計という仕事の悪い慣習から、協力者を結果的に隠蔽してしまっていたと思います。その隠蔽をメディアが助長してきたことも事実です。

このことは、わたしたち構造設計者や設備設計者やゼネコン技術者は耐震偽装事件よりもずっと昔から感じてきたことです。ですが、仕事の力関係から表面化してきませんでした。建築設計の大多数が意匠設計者である以上、わたしたち少数派の発言は耳をすましても聞こえないくらい小さくなってしまうのです。

今回の事件を機に、建築家に対するメディアの取り上げ方も変わらなければならないと強く思います。
欧米の有名建築家に憧れる日本の建築家は多いですが、建築の拠点が日本である以上日本の建築家は欧米の建築家と同じであってはなりません。
それは、日本が世界でも有数の地震国だからです。欧米と比較して100倍もの高い確率で大地震の驚異にさらされている国において、そんなことは許されないのです。

建築家の職能を世間が理解し、メディアも建築家を冷静に見極めて(ときには批判して)、
未来の建築設計を担う若者達に正しい情報を提供していく必要があると思います。
そうすれば、必然的に建築家が審査するコンペの意義も若者自身が判断できるようになるでしょう。

今回は、以上です。どうしても長くなってしまいますね。。
次回は、耐震偽装問題について声を出さない建築家について書こうと思っていたのですが、内容を考えるとこれまでに書いてきた内容の繰り返しで、ちょっと悪口っぽくなりそうなので一編繰上げます。

なので、次回は、最終回として建築設計を夢のある仕事にするためにこれから何をするべきかについて私見を書いていきたいと思います。

体調不良で、久しぶりになってしまいました。少しずつは書いてます。すいません。。
さて、
前回は、一級建築士の構造に関する知識について書きました。最近の新聞で、いままで構造計算が必要とされなかった木造建築にも構造計算が義務付けられるようになるようなので、ますます建築の構造に対する重要性が高まってくることを期待したいです。そのためには、制度の改正も必要不可欠です。そこで今回は、一級建築士試験そのものの問題点について、掘り下げて書いていきたいと思います。

「一級建築士制度を考える」

5.一級建築士試験の問題点は?

わたしが、一級建築士という存在を始めて知ったのは、いつ頃だったか思い出すと中学生の頃だったと思います。と言うのも、父が二級建築士なので、一級はもっとすごいのかぁ・・といった漠然としたものだったと思います。
やはり、建築という仕事を志したときに真っ先に「一級建築士」を目標にしたのは間違いないです。また、そういう方々はたくさんいると思います。
漠然と一級建築士を目指していた頃の「一級建築士像」は、一級建築士=かっこいい、一級建築士=お金持ち、などなどバブリーなことを想像していたことは否定できません。。
建築の勉強や、現実を学ぶにつれて「・・・ちょっと待てよ。。」という状況になっていったのは、一級建築士を目指している方、取得した方含めてあるのではないでしょうか(笑)。

ま、とりあえずそれは置いておいて、
わたしが、受験資格を得てからどのように取得したかを簡単に言いますと、
大学院を卒業して、すぐ3ヵ月後の7月末に実施される試験を受験をしましたが、入社した構造事務所の仕事を覚えるのでいっぱいいっぱいで勉強がほとんどできず、惨敗でした。。結局、翌年、翌々年も受験はしたものの仕事が忙しいのとまだまだ実務で覚えないといけないことが山ほどあり、まともに勉強できず、惨敗が続きました(こういう方が、建築業界は多いのではないでしょうか??)。結局、建築士受験で有名な某N学院に2年通って合格しました(少ない給料から3年半ローンを払いました・・)。。頭の悪さと意思の弱さの言い訳っぽいでしょうか??はい、言い訳です(笑)。

今回は、もっと詳しく一級建築士試験について書きます。
まず、
試験は、1次試験(7月末)と2次試験(10月中旬)とに分かれています。
1次試験がいわゆる学科試験で、その合格者(合格率20%程度)が2次試験の製図試験(合格率30%強)に臨みます。全体では、合格率10%程度の狭き門です。

1次試験の学科試験は、4科目あります。
・計画(音熱環境、色彩、空調、建築史、一般常識などを広く浅く学ぶ分野)
・法規(建築基準法、建築士法、消防法などの実際に建物を建てるためのルールを学ぶ分野)
・構造(構造力学、構造規則、計算問題などの構\造設計の土台となる分野)
・施工(施工規則、工事名称、工事用機械の名称など、監理をするための土台となる分野)

各科目25点満点で、合格するためにはおよそ7割の得点が必要です。
ただし、建築士として構造は得意だけど、法規は苦手みたいな偏った知識があるとまずいので、各科目で「足切り点」が設けられています。平均点によってばらつきはありますが、12点以下は「足切り」で問答無用の不合格となるのが基本です。(実際、わたしは計画12法規24構造22施工20合計78で不合格になったことがあります。。1点不足で不合格になる人が毎年1/2000の割合でいるそうです。。)

次に、2次試験の製図試験は、
学科試験時に与えられた製図テーマ(例えば、「宿泊機能のあるコミュニティ施設」などという漠然としたもの)をもとに試験当日に、具体的な設計テーマが与えられる試験です。試験時間5時間半という短時間で、試験問題を読み取りA2一枚で計画、製図を行うもので、学科試験終了直後からすぐに製図の訓練をしないと(実質2ヶ月半しかないので)なかなか時間内に書き上げることは難しい試験です。この製図試験の場合は、出題の意図をよく理解した計画がされているか、時間内に図面が仕上がっているか、の両者揃っていることが大まかに採点基準となります。

書いていると、当時の苦労を思い出します。。
今年受験される方、がんばってくださいね!!

さて、ここからこの試験自体の問題点、改善したほうがいいと思う内容について書きます(今年受験される方々は、モチベーションが下がるかもしれないので読まないでください(笑))。

まず、学科試験について、
わたしは、実務を3年ほど経験してから本格的に勉強をはじめました。なので、はじめは「下地がゼロの人たちよりは有利だろう・・」と思っていたのですが、実際はその逆だった気がします。。
つまり、実務は実務、試験は試験という割り切りが必要なのです。これは、日本特有のお受験体質というか、とても残念な部分です。なので、中途半端に実務経験があるよりは、真っ白な頭に知識をつめこんでいくほうが合格により近い試験だと言えると思います。
これは、わたしの経験上でも間違いありません。建物の設計経験のない一級建築士さんと何人も一緒にお仕事をしましたが、試験の知識が実務で邪魔をしている人もいるなぁと思うほどでした。

以前から、書いているように、世間一般では、一級建築士=エキスパートと思っている人が少なくないというのに、試験問題自体が実務経験を反映できないことが少なからずあるのでは、本末転倒なわけです。

わたしも、テストなどの解答にどうしても納得ができない構造の問題がいくつもあって、最初のうちは苦悩したものです(最後のほうは合格のために割り切りましたが・・)。
ここで、学科の科目別に問題点をわたしなりに挙げてみます。

計画: 
そもそも、難しくしようがない科目だと思う。
出題範囲が広すぎるので、かなり浅い知識しか残らない。
勉強して得点できる問題が実務で有用とは言えない。
知らないと解答が分からない問題が多すぎる。
運にかなり左右される。
オタクな問題の出題が増えて点差をつけるための科目になりつつある。

法規:
法令知識を問うというよりは、日本語の読解力を試す問題が多い。
(以上、以下、超える、未満などのちまちました部分を問う問題が多すぎる)
試験の法規が得意なのは、法令に明るいのではなく、法令集を早く引く訓練をした人という傾向がある。
実務でのグレーゾーンとの境界があいまいである。

構造:構造の専門家であれば、良い復習になる問題が全体の60%程度ある。構造の専門家以外にしてみれば、酷な問題が多い。実務で有用な問題は、全体の10%程度しかない。
構造の楽しさを学べる問題は、ほとんどない。細則を問う問題は、オタクすぎるものが多い。

施工:
一番、実務とほど遠い科目と思われる。
暗記である程度得点できても、得点の実感がない科目と思う。
施工管理者が得点できない問題が野放しになっている。
試験の解答を実務で実際に行うことは、稀であると思われる。
試験解答が、「キレイゴト」すぎる。

こんなかんじでしょうか?他にも思うことがある方がいれば是非コメントください。

次に製図試験について、
これは、学科試験に自己採点で合格ラインだなと判断したらすぐに対策をしなければ時間的な余裕のない試験です。つまり、一級建築士として最低限必要とされる知識を問う学科試験を振り返る時間がないのは普通に考えても問題だと思います。学科試験と製図試験の間隔はもう少し余裕があったほうがいいと思います。

製図試験は、A2(縦430x横604)用紙1枚に平面図、断面図、面積表、立面図などを書きます。その他にエスキス用紙という紙が配られて、その紙に製図するための下書きや計画をすることになります。製図試験は、製図用具を自分で持ち込むのでかなりの大荷物です(重いので女性には酷な気もします)。ちなみに、製図用具一式を揃えるとなんだかんだで5万円くらいになりますが、当然ながらA2用の製図道具などCAD時代の現在では試験以外ではほとんど使わないので、かなりもったいないと個人的に思います。。まぁ、CAD時代だからこを、手で描く経験も重要だとも思いますが、使わなくなったA2の製図版の再利用方法でも考えるとちょっとしたビジネスになりそうです(笑)。

さて製図試験の問題点ですが、
製図試験は、合格者の人が口々に言うのが「学校に通わないと無理」ということです。
つまり、製図試験にはある種の「癖」があるということです。
そもそも、建築設計は答えがないから面白いのに、ある答えに近づけるための製図方法を学ばなければ
ならないのです。
そして、何よりも一番驚いたのが、建築士受験で有名な某N学院でのはじめの製図授業で、
「製図試験に実務経験は関係ありません。逆に実務をされている方は、実務は忘れて試験での製図方法を学んでください」と堂々と言っているのです。

みなさん、これが一級建築士試験なのです。。
正直、わたしは学科合格の喜びも忘れて目が点になってしまいました。。

ただ、実際合格するためにはそうせざるを得ないと思われます。
ローン払って通ってる学校なので、やらざるを得ないのです。。
このジレンマと戦うのに、1ヶ月はかかりました(汗)。2ヵ月半しか期間がなにのに。。

製図試験の具体的な問題点は、
・採点基準があいまい(採点者によってばらつきが大きい)。
・構造的に問題のあるプランが正解となることが多い(壁の位置、平面形状など)。・独創性を一切評価しない。
・出題文の表現があいまいで何通りにも解釈できることが多い。
といったところでしょうか?ご意見あればコメントください。

では、一級建築士試験をどのように変えれば良いでしょうか?
正直、試験は国(お役所)と学者さん達が作るものだと思いますので、大きな期待はできませんが、、個人的な意見としては、

1.年に一回の試験を最低2回にする。
→真夏に試験を行うのはどうかと思う。毎年、試験会場の冷房環境(暑い、寒い)の苦情があるはずなので考慮するべき。

2.試験内容は、実務を反映させるように民間団体の意見を取り入れる。
→試験と実務との大きなギャップこそが、建築業界の根底にある大きな問題であると自覚するべき。

3.試験のための勉強にならないような、試験問題作りをする(漠然としてますが・・)。
→近年特に、試験内容が実務に反映できないものになっている。難易度操作があからさまである。海外の資格試験を参考にするなどして試験を作成する側がもっと業界の現状を勉強しなければいけない。

4.製図試験を実施するにあたって、時代の変化、実施する大きな目的を考慮して見直すべき。
→現状の製図試験は、模範解答を作成してから問題文を作成すると言われている。そのようなパズルを完成させるような試験に設計者としてのどのような能力を問うているのか分からない。
以上です。

自分も経験したので一級建築士を取得するのは正直骨が折れました。。ですが、まだまだ試験内容に問題の多い試験であることは否めません。

耐震偽装問題で、各テレビ局でジャーナリスト達が、「一級建築士が何人もいるのに、偽造を見抜けなかったということは大問題だ!」と声を荒げてましたが、それは愚の骨頂です。資格というものの本質を理解していないとしか、言いようがありません。偽善者の正論でしかないと思いました。
自動車免許を取ったら、それでエキスパートですか?免許を取得してから何年も自動車に乗る経験を通じていろいろ学ぶものです。あの、ジャーナリスト達の論争を見ていて本当に腹が立ちましたし、ただこれが世論なのだと、自分に言い聞かせる必要もありました。

「設計者にとって最大の敵は、年齢である」と言った人がいます。
これは、設計に限った話ではありませんが、間違いではありません。
しかし、経験があると人は「油断」「手抜き」がでてくるものです。
「プロの手抜きより、素人の一所懸命のほうが良いものができる」と言った人もいます。
理想は、選ばれたプロが心をこめて仕事をすることなのは言うまでもありません。

建築士を受験する人たちが、どのくらい建築が好きなのか?
わたしは、ここが一番重要だと思います。
とは言っても、そうすると建築はデザイナー志望の若者に人気のある裾野の広い業界なので、好きなだけならかなりの人数がいることも事実なので、やはり一定の技術と知識を課すことも大事でしょう。

ようやく、試験制度にメスが入る好機ですので、良い改革になってほしいものです。

書き足し、書き足しで、かなり長くなってしまいました。。
連載が終わった時点で、読みやすくもう一度見直して細分化しないといかんですね。

では、
次回は、建築設計業界の大部分を占める「意匠設計者」の憧れであり目標でもある、「建築家」とメディアの関係について掘り下げて書いていきます。

前回は、構造設計という仕事の現状について、私見を書きました。
なぜ、構造設計という仕事が建物を設計するうえで極めて重要であるのに、構造設計を理解している人が少ないのでしょうか?今回は、この点を掘り下げて書いていきたいと思います。

「一級建築士制度を考える」

4.一級建築士の構造に関する知識はどのくらい?

「一級建築士」になることは、建築を学ぼうとする若者にとってまず第一の目標であり、難関だと思います。
中には、「一級建築士」になることが夢でその後のことは資格を取ってから考えるというような人もいるようです。まぁ、国家資格というものは一級建築士に限らずそんなものかもしれません。

一級建築士試験は、誰でも受けることができる試験ではありません。
(受験資格については、こちらをご覧ください。)受験資格を有する人のみでも、毎年約5万人が受験する大規模な国家試験です。

自分の頭の悪さを言い訳するつもりはありませんが、、勉強しないと合格できる試験ではないことは身を持って実感しております。。

わたしが、そこまでして必死になって取得した一級建築士試験とはどういったものなのか?
詳しくは、次回書きますがおおまかには、

1次試験(学科試験4科目)と2次試験(製図試験)があって、
1次試験(7月末)の試験で4科目(計画、法規、構造、施工)におおよそ7割以上得点した合格者が、2次試験(10月中旬)の製図試験に臨むものです。
合格率は、1次試験がおよそ20%、2次試験がおよそ30%で全体では合格率10%程度の狭き門です。

おおまかな概要はこんなところです。。
ここまで、読んで「大変そうな試験だなぁ・・」、「一級建築士ってやっぱりすごいなぁ・・」と思う方もおられるのかもしれません。
たしかに、振り返ると「おれもよく頑張ったなぁ・・」なんて思ってしまいます(笑)。

しかし!ここで、重要なのは試験の難しさではありません!
この試験に合格したら、どのような知識が身につくのか?
この試験に合格した「一級建築士」が世間一般にどのように思われているのか?
ということです。

まず、一級建築士に合格したら身につく知識とは、建築設計を行ううえで基礎となる知識です。
決して、一級建築士に合格したら全員が建築のエキスパートになる訳では全くありません。

一級建築士試験で求められることは、建築に関わる広範な分野の基礎的知識の習得であることを強調したいと思います。

なので、一級建築士試験の「構造」の問題で25点満点をとったからといって専門家であるとは限りませんし、専門家でも問題との相性で18点くらいしかとれないこともあるでしょう(13点ぎりぎり合格で、構造の専門家のような顔をしている人も中にはいるでしょう・・)。
ちなみに、わたしは構造が専門なので一級建築士試験で「構造」については、ほとんど勉強はしませんでした。満点ばかりではなかったですが、模擬試験も含めて平均的に20点以上はとれました。構造の専門家であれば、20点程度はとれる問題が多いと思います。
ここで、前回までの話を思い出して頂きたいのですが、
一級建築士合格者で設計を本業としている人は、意外と少ないこと(全体の3割程度という統計があります)。
また、その設計者の大多数は意匠・計画系の設計者であるということです。

一級建築士試験の「構造」の平均点は4教科の中でも一番低いです。つまり、一級建築士受験者の大半は「構造」を苦手としているということです。わたしが、通っていたN学院内でも、「構造はいくら勉強しても無駄・・」とか「構造は見るのもいやだ・・」という声がよく聞かれました。本試験までには、大体みなさんある程度勉強しているのでそこそこ点数が取れるようになりますが、試験勉強を開始した当初の小テストの平均点などをみると、大半の人が「構造」に対する下地が全くないのが分かります(他3教科の平均点の半分くらいしかないのです。。)。
「構造」を苦手とする人が多いのは、「構造」に物理と数学の知識が必要とされるからだと思います。
大学でデザイン系の勉強をしていた方は、「構造」は大学受験以来の「物理」や「数学」の試験との再会になるので、しんどいはずです(受験科目に物理のない大学も結構あります)。
また、試験で合格できる程度に勉強しても、その知識は実務で使わなければ見事に忘れます(笑)(それは、人の脳がそのようにできているのでしょうがないことですが・・)。

建築がしたい

デザインがしたい

屋台骨の設計とデザインは一体のもの

構造設計の勉強

物理や数学の勉強

苦手、分からない

構造は嫌い!

ちょっと、簡単に書きすぎかもしれませんが、あながち間違ってもいないでしょう。
デザインがしたいから、デザインだけをするのではなく、デザインがしたいからその土台となる物理や数学を勉強する必要があるとわたしは思いますが、
「嫌いなことをしてまでデザインはやりたくない」、
「構造は得意な人に任せてデザインだけをしたい」、という人達が圧倒的に多いのです。

この時点で、世の中の設計者の大半を占める意匠設計者が構造の専門家ではないことが理解してもらえると思います。それどころか、構造を苦手としている人も多数いることも理解してほしいと思います。

この、「構造嫌い」、「構造離れ」を生み出してしまっている原因は、前回書いた現状の構造設計業自体に魅力を感じる部分が少ないのも大きな問題だと思いますが、これまでの試験内容と建築教育に問題があると思います。「構造嫌い」の副作用は、意匠設計者に構造アレルギーとして業界に蔓延しているように見えます。その証拠に、意匠設計者は法規、規則、細則などを覚えるのは当然の義務なので得意なはずなのに、これが「構造規則」、「構造細則」となると「これは、構造のことだから構造設計者に聞こう」となってしまいます。。もちろん、構造規則や構造細則の大部分は暗記ものなので、物理の知識は不必要ですし、そのことを知っているか知らないかで、設計初期の計画に大きく影響する知識が多くあります。

次回詳しく書きますが、この問題は以下の考え方をすることで簡単に解決できると思っています。

・構造計算ができなくても、構造を理解することは十分可能である
・構造設計者が実務で使う物理の知識の大半は、初歩的な内容のみである
もちろん、物理や数学の知識まで習得して構造を勉強するのが一番良いのですが、その知識の大半は「構造計算」をするためのもので、必ずしも「構造設計」をするためのものではないと、わたし自身も実感しているので上記2点をとりあえず、意匠設計者に理解してほしい内容としました。
前回まで書いてきたように、設計者の大半が意匠設計者であるために、世間一般では設計者といえば「意匠設計者」であり「建築家」というイメージが極めて強いです。また、現状は意匠設計者が設計業務のイニシアチブを持っているということをもっと重く受け止めてほしいと思います。

それでも、デザインだけしたい設計者は、それはそれで構わないのですが、最低でもそのことをクライアント(依頼主)にちゃんと明示する必要があると思います。
デザインが「ブランド化」されている建築家以外は、そのデザイン行為に対して得られる報酬は本来極めて少ないはずです。クライアントの大半は、エンジニアリングの伴ったデザインを当然のように要望しているのです。

これまでの、建築設計業界の報酬体系は意匠設計者を元請として構造設計者等が下請けとなっていました。営業をして仕事を取ってくるのだから当然だという方もいるでしょうが、それは世間一般の「誤解」の下で成立していたとは言えないでしょうか。世間が冷静な目で建築設計業界を見るようになるには、まだ時間がかかると思いますが、現在の体系に歪があることは今回の事件が良い意味で証明したと思っています。

次回は、このような土台を生み出す原因の一つでもある一級建築士制度の問題点について、試験の問題や制度の問題も含めて書いていきます。

前回は、元請けと下請けの力関係とういテーマをもとに建築家と構造設計者の関係を書きました。今回は、構造設計という仕事について詳しく書いていきます。

「一級建築士制度を考える」

3.構造設計という仕事があることを知ってましたか?

街を歩いていて、「あの建物かっこいいなぁ」と思った経験が誰にでもあると思います。
その「かっこいい建物」を計画・設計しているのはいわゆる意匠設計者(建築家)です。デザインが優れている建物は、建築系、アート系、ファッション系の雑誌に掲載されたりします。このような雑誌を見て将来「建築家になりたい!」と思う若者は多いのではないでしょうか。建築家も、雑誌に掲載することで営業効果が絶大なので、必死に売り込もうとしている方々も多いと思います。

建築家が意図したデザインの建物を、現実に建設できるようにするには構造設計者による構造的な検討が必要となります。その検討の結果、実際に建設するためにデザインの変更を余儀なくされる場合もあります。
デザイン→構造検討→変更→デザイン→構造検討→変更→デザイン→構造検討→決定。
といったサイクルで設計は行われます。
奇抜なデザインの「かっこいい建物」ほど、このサイクルが多くなるのが一般的です。

これを見て、みなさんはどう感じるでしょうか?

意匠設計と構造設計が分業であるということに疑問を感じるのはわたしだけでしょうか?
建築家が作りたいデザインを提案しても、それが実際に建設できるのかどうかは構造検討してみないと分からない。分からないから、何度もこの過程を繰り返すのです。当然ながら、作業しただけ費用もかかります。非効率的な作業だと思いませんか?

ここで、前回書いた意匠設計者と構造設計者の関係性を思い出してください。
意匠設計者は元請で、構造設計者は下請けです。
つまり、意匠設計者も当然ながら無駄に構造設計料を支払いたくないですし、効率は求めているので、このサイクルをできるだけ少なくしたいと思うでしょう。ただ、そう思ってもこの段階で決定権は下請けである構造設計者にあります(ないとしたら今回の事件の予備軍だと思います・・)。提案されたデザインを早く構造的に成立するようにしろと言われても、できないものはできないと言わざるを得ないことが当然あるのです。

構造設計者:「ここをこのように変更してもらえれば構造的に成立するでしょう」
意匠設計者:「それでは、このデザインの意味がなくなる」
構造設計者:「では、ここに柱を設けて検討してみましょうか?」
意匠設計者:「そこには、柱は設けたくない」
・・・

こんなやりとりが、日本中のあちこちで行われていることは容易に想像できます。。
デザインするときに構造的な計画ができていれば、このようなやりとりを最小限にできるのですが、前回書いたように構造を理解できている意匠設計者の少なさがこのようなことを引き起こしていることは、経験上否定できません。

つまり、構造設計という仕事は、与えられたデザインをただ検討、計算して成立させる仕事ではありません。わたしが思う建築とは、構造的な理解があってはじめてデザインができるものだと思っています。学生時代から、そのことは信じて疑ったことがありません。意匠、構造お互いの承知のうえで非効率な仕事を行っているのであれば、それはそれでしょうがないのですが、この連載の最後に書こうしている「建築設計を夢のある仕事へ・・・」という目標にはほど遠いものになります。
つまり、構造設計という仕事が下請けから脱却したときに、極めて大きなポテンシャルを有する仕事であることは間違いないのです。
しかし、耐震偽装事件におけるアンケートに、
「構造設計という仕事を知ってましたか?」という質問に対する回答は、大多数が知らなかったという興味深い結果があります。
つまり、世の中は「見た目重視」でこれまで構造設計者を見ていませんでした。または、見ようとする気があっても隠されて見えなかったとも言えるでしょう。構造設計者の存在は、世の中に出る前に何かに隠蔽されてしまっているのです。そのことは、次回以降建築とメディア関係性を通じて詳しく書いていきます。

構造設計という仕事が、人命に大きく影響することが今回の事件で理解されたことは、ある意味不幸中の幸いだったと思っています。
日本は、世界一の地震国でありながら「衣・食・住」の「住」に対する認識が偏っています。
これは、やはり建築というものの教育が間違っていたと言わざるをえないと思っています(東京都知事が、東京の都市景観を「ゲロみたいだ・・」と例えましたが、私も同感です)。また、皮肉ですが日本が経済的に豊かな国であることも少なからず影響していると思います。

わたしは、「住」に対する認識を改善させるためにも、構造設計という職業の認知度を上げる必要があると痛感しています。
現時点において、構造設計という仕事はどのようなものなのか?簡単に言うと、

・意匠設計の下請け
・意匠設計者がデザインした建物を構造計算する・計算書を作る
・図面を書く(構造図、配筋図・・)・現場で検査をする
・意匠事務所が、設計料の10〜20%程度の報酬を構造設計料として支払う・・・

ちょっと現実的に書きましたが、これを見て魅力を感じる人がどれだけいるでしょうか?
はっきり言って、これでは子供達が夢見るような職業には永久にならないでしょう。

まず、
「下請」ではなく「元請」になるための制度作りが必要です。そうすることで、意匠事務所が構造事務所に報酬を支払うのではなく、クライアント(依頼主)に対して、適切な報酬を請求できるようになります。ここが、一番重要だと思います。あと、
「計算」、「計算書」という言葉自体に嫌悪感を示す人が多いので、呼び名を変更してもよいでしょう。

これでも、まだ子供が夢見る職業には程遠いですが、そうするための土台作りにはなると思います。
他にも建築設計業界全体で変えていかなければならないことがたくさんありますが、それは次回以降で書いていきます。

最後に、構造設計者の置かれた立場について非常によく理解できる本があります。「ルイスカーンとの18年」(という題名だったと思いますが・・)という本です。
これは、世界的に有名な建築家ルイスカーンの代表作である建物を構造設計した、オーガスト・コマンダントが書いた本です。これを読むと、今も昔も構造設計者の立場は変わってないんだなぁと思います。興味のある方は、是非一読ください(こちらから購入できそうです)。

次回は、意匠設計者(一級建築士)の構造に対する知識について、試験制度の問題点も含めて書いていきたいと思います。

前回は、建築士と建築家の違いについて書きました。
今回は、「建築家」を取り巻く仕事形態についてもっと掘り下げて書いていきたいと思います。

「一級建築士制度を考える」

2.元請と下請けの力関係

耐震偽装事件で「建設会社からコスト的なプレッシャーを受けた・・」というA氏の発言がありました。このことから、建設会社以外に設計事務所、不動産会社、コンサルタント会社といろいろな会社の名前があがりました。
これらの会社の相関関係は複雑なので、ここで詳しく説明するのは割愛しますが、重要なのは、下請けの構造設計者が元請けからプレッシャーを受ける立場にあったということが世の中に知られたことに大きな意義があったと思います。当然ながら、元請けと下請けの関係は建築業界に限らずどのような業界にもある関係です。ただ、今回ほどの事件に至らないのは、その業務自体に直接人命に関わる可能性が低いからだと思われます。(個人的には、年間3万人もの自殺者がいる現状から判断して、間接的にはどの業種にも大きく影響があると思いますが・・・)一般的に、構造設計者の元請けになるのはどこだと思いますか?この事件のように建設会社となることもありますが、大多数は設計事務所です。以前ブログでも取り上げましたが、世の中の設計事務所の約90%は意匠・計画系の設計事務所です(以後、意匠事務所と記載します)。残りの10%が、構造設計事務所、設備設計事務所、その他各種専門分野の設計事務所などということになります。もちろん、「建築家」というのは意匠事務所の代表\などをされている方が多いです。
では、意匠事務所の元請けはどこになるでしょうか?
これは、建物の種類によって様々ですが、個人、不動産(デベロッパー)、法人(企業)などです。
これらの場合は、請負というよりは業務委託という形態になりますが関係性としては元請け下請けと同様といえます。

つまり、意匠事務所が仕事を取ってくるわけです。
社会一般では、仕事を取ってくる者が一番エライということになります。
わたしは、このことに反論はしません。仕事を取ってくるということはすごいことですし、仕事を取るための初期投資、労力は大変なものだと思います。

まとめると、建築設計の仕事形態は、

依頼主
↓↑
意匠事務所
↓↑
構造事務所(設備事務所)という指揮系統に基づいて基本的に行われます。
(余談ですが、設計が終わって施工が始まるとこの系統図に施工会社(ゼネコン、工務店など)が加わりますが、施工会社は本来金銭的にも中立なはずなのですが、設計者に対して「先生」という習慣があります。わたしは、この習慣が嫌いですが、この習慣の根底にも建築業界の悪い部分がたくさんあると思いますので、次回以降詳しく考えてみたいと思います。)

ここで、問題なのは、

依頼主
↓↑
構造事務所(設備事務所)となるケースがほとんどないということです。

設計の打ち合わせは、大部分を依頼主と意匠設計者で行います。打ち合わせに参加する人数が多ければそれだけ費用がかかるからです。大規模建築であったり、金銭的に余裕のある建物では例外的に構造設計者や設備設計者が同席することもありますが、あくまでも例外です。それでは、依頼主は、建物を設計するにあたって何を意匠事務所に求めているのでしょうか?一生に一度あるかないかの出費を覚悟してどのような建物を希望しているのでしょうか?

意匠に対しては、デザインや外観や内装仕様などいろいろありますが、設計を統括する立場として「低コスト」を一番重要視されるケースが多いと思います。
構造に対しては、漠然と安全性。設備に対しては、照明、キッチン、バスなど生活のインフラとなる部分なのでいろいろとあるでしょう。
つまり、構造に対しては具体的な要望がないのです。。なので、依頼主自身も構\造設計者と何を打ち合わせしたらよいのか分からないはずです。「安全な建物にしてくださいね」と言われて、「はい」と答えただけの打ち合わせもありました(笑)。

ここで、極端な質問をします。
1.耐震性能について、建築基準法をぎりぎり満足するように設計すると、20万の節約ができる。2.耐震性能\について、建築基準法は十分満足できる設計だが、20万の増額となる。
耐震偽装事件以前であれば、9割の方が1番を選んでいたはずです。事件後の今でも、法律は満足しているんだからと、1番を選ぶ人もかなりいると思います。
結論から言うと、1番を選ぶことは勧められません。それは、建築基準法がどのようなものなのか?ということからお話する必要があるので、それについては次回以降で取り上げていきたいと思います。

問題なのは、意匠事務所が1番を選ぶことのリスクをはじめから正確に依頼主に伝えていなかったことだったとわたしは思っています。

元請けである意匠事務所は、せっかく取れた仕事を逃すわけにはいかないので、依頼主に対して印象の悪いことは極力言わないようにするでしょう。あまりにも、ぎりぎり設計なので構造設計者が意匠設計者に対してもう少し余裕をみたほうが良いと提案しても、依頼主までその提案が届くことは多くないと思います。
下請けである構造設計者は、仕事をもらう立場なので当然意匠事務所ができるだけ望むように構造設計をしようと努力するようになってしまうのです。なので、依頼主のために構造設計を行うという認識が薄れてしまうということになります。

また、要望は当然ながら依頼主の要望でないといけませんが、意匠設計者の好みだけの要望というものがかなりあります。意匠設計者の言うがままに構造設計をしたところ、依頼主から設計変更依頼が発生したりすると構造設計者にも不利益を被ることになります。

そもそも、構造設計とは建物の屋台骨を設計する仕事です。いわば、構造は人に例えれば骨や筋肉に相当するわけで意匠とは表裏一体でなければならないと思います。そんな、意匠的にも重要度の高い設計なのに意匠設計者がよく分かっていないのが何よりも一番の問題であると思います。一級建築士の意匠設計者であってもこのことは同様です。構造設計を理解している意匠設計者は、本当に少ないんです。。構造設計は外注するものと決め付けている若者が多いことには、将来の建築設計業界に対する不安を感じます。建築設計は魅力のあるやりがいのある仕事だと思います。ですが、楽しいことだけしていては具体的な技術はいつまでも身につきません。
スポーツ選手は、筋トレをして日々鍛えないと、怪我しやすくなったり、体力を維持向上できません。好きなことをしていくために必要なことは、やらなければならない義務なのです。
ある意味、構造を理解することは頭の筋トレのようなものだと思います。わたしは、意匠設計者が仕事上で主導権を持っている限り、構造を理解することは義務だと考えます。
耐震偽装事件以降のアンケートで分かった以外な事実があります。
世間一般では、建築設計業務が分業だということを大多数が知らなかったという事実です。
このことについては、現在の建築業界の欠点をよく表していることなので次回以降詳しく書いていきます。ざっと書いたつもりでしたが、結構長くなってしまいました。。意匠が主導権を持っていて、構造は下請けの立場であるということがより具体的にわかってもらえればとりあえずは良いかなと思います。
次回は、下請けである構造設計とうい業務について詳しく書いていきたいと思います。

追伸:
意匠設計者について、批判的な表現を多く使いましたが、当然ながら素晴らしい意匠設計者もたくさんいらっしゃいます。ですが、素晴らしい意匠設計者の存在を考慮しても、意匠設計者全体的には構造に対する無知を言わざるを得ない状況であると強く感じているので、あえて批判的な表現を用いています。付け加えてお断りしておきます。

追伸2:
ここで、設備設計については、電気、機械分野出身者が多く一級建築士を取る設計者も少ないので、ここでは取り上げていません。建築にとって設備は、人に例えると機能を司る臓器や神経に例えられる重要な部門です。意匠(構\造)とも当然ながら密接に関わります。